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先日、竹内結子・阿部寛主演で『チーム・バチスタの栄光』が映画化されましたね。
映画化に先立って、去年の冬に原作を読んでいたのですが、たしかにこれまで読んだことの無いジャンルのミステリーで新鮮でした。 文体やキャラクター設定にかなりのクセはあるものの、あとをひくというか、インパクトが強いというか。 「かるく酔う」といってもいいかもしれませんね。 映画版は見ていません。 だって、田口公平役が女の竹内結子、白鳥が阿部寛になった段階で面白いわけがないじゃないですか。 ・・・・・・という決め付けですが、あながち間違いでもなかったようで。 実はこないだ『チーム・バチスタ』の続編にあたる『ナイチンゲールの沈黙』と『ジェネラル・ルージュの凱旋』を読んだのですが、この2冊を読むと、特に白鳥=阿部寛というのがつらいことがよくわかります。 阿部寛は『ナイチンゲール』の加納か、『ジェネラル・ルージュ』の速水に充てたほうが数段よさげです。 竹内結子の演技力では続編で田口が果たす役割を演じきれるわけもなく、『チーム・バチスタ』映画版のキャスティングの先読みのなさが露呈しているのです。 その場しのぎのなんとなくキャスティング(もしくは事務所偏重の流されキャスティング)をしている限り、邦画に未来はありません。 そういうしがらみを打破する新しいムーブメントに期待しています。 PR ![]()
同感です。
私もこの「チームバチスタ~」以下3巻読みましたが、のいじーさん同様、まず映画のキャスティングにがっかりしました。田口先生=阿部寛はあるかもと思いましたが。映画は見てませんが少なくとも「犯行現場は半径10センチ」ってそりゃもう話変わってるだろって感じですな。
ですよねー
「映画は原作どおりでなければいけない」とは思っていません。むしろ、原作のテイストを生かすためならどんどんアレンジしてかまわないと思います。
でも、一番肝心な部分をないがしろにして、拝金主義に走るつくりはいただけません。 『チーム・バチスタ』の話で言うなら映画版では原作中の「オートプシー・イメージング(A・I)」の話がすごく軽く扱われていると聞きました。 『チーム・バチスタ』シリーズ全般を通してのメインテーマといってもいい「A・I」のことをきちんと伝えずに単なるサスペンスにしてしまうのなら、これは改悪と断じざるを得ません・・・・・・。 このあと僕は『ブラック・ペアン1988』も読みましたが、ひとつの先進的な技術をめぐる医療現場の人々のさまざまな思惑が交差する、その人間模様が緻密に描かれた佳作です。 この作品は、少なくとも「なんとなく体面だけを取り繕ったような映画」にだけはしてほしくないものです。
チームバチスタ~
お久しぶりです。
チームバチスタ~、ドラマ始りましたね。 キャスティングがかなり安上がりでぶっ壊れてます。がっかり。
むむー
主人公・田口が男性であることには好感が持てるんですが、第1話目から白鳥が登場してきたり、その白鳥が仲村トオルだったりと、なかなかに面食らう展開ですね。
釈由美子は個人的に好きだからいいんですけど、鳴海とかも違和感ありあり。 どうしたもんかなあ?って感じです。
原作とそのドラマ化
何回か原作とそのドラマ化(映画化)の話題で書き込ませてもらってますが、一昨日、「流星の絆」のドラマを見てちょっと認識が変わりました。
原作というのは、あくまでも原作なのだということですね。東野圭吾の原作と工藤官九郎の脚本に接点はないわけですから。まぁ面白かったですが、制作側とドラマの見る側との認識の違いを感じました。 ![]() |
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